右も左も分からぬまま飛び込んだ、過酷な現場。
──若尾社長は異業種からの転身で、ドライバー経験もないとお聞きしました。
結婚をきっかけに異業種より入社しました。
右も左もわからないなかで、第一印象として「むちゃくちゃ働く業界・会社だな」と。
配車マンなんかは、夜中22時23時まで仕事してたし土日祝関係なし。
朝早くから出発するし、「とんでもない業界にきちゃったな」というのが第一印象で。
正直その当時は、乗務基準や拘束時間も守れていなかったなかで、みんなガムシャラに働いていた。
恥ずかしながら、点呼なんかも全然やっていないし、まずはお客さんの仕事をこなすんだとそればっかりで。
ただ尊敬もあったんですよ。
みなさん素晴らしい仕事もしてみえるし、ただそれがね、本当に過酷な労働環境のなかでやってみえた。
高額な免許、安すぎる運賃。海コン業界の矛盾。
──海コン業界は運送業界の中でも特に厳しいのでは?
海上コンテナって、例えば岐阜とか三重とか長野とか貨物を運んでも、帰りは中身が空なんですよね。
でもコンテナを名古屋港に返却するという責務があるんで、“ラウンド運賃”って言って本来は往復運賃をもらわなかん業態なんです。
でも一時はトラックと変わらんような運賃。
今でも近しいものはあるけど、やっぱり運賃が非常に安い。
そういった中でトレーラーも買わなかん、トラクターヘッドも買わなかん、免許も高額だってことで、必然的にたくさんこなさないといけない。
となってくるとやっぱり長時間労働になりやすい。
だけどなんかイメージ的には“トラックに乗るよりかは楽な仕事”みたいな。
1回配達に行ってね、名古屋港に返せば仕事終わりだから年寄りでもできる、みたいなね。
それに名古屋港は非常に特異なところがあって‥コンテナをドライバーが洗わされるとかね。
コンテナの中を綺麗に清掃して名古屋港にお返ししないと、「なんやこれ洗ってないやないか」「もう1回やり直してこい」って言われる。
そういった面でもドライバーが過重労働というかね、必要以上の付帯作業をやらされてる。
実はこれって関東とか関西では船会社がやる仕事なんですよ。
港に返した後に船会社が自分たちで綺麗にして、またコンテナを使えるようにするのが普通なんですけど。
名古屋港はなぜか運んでるドライバーがやらなくちゃいけない。
さらに港の大渋滞だとか待機時間だとか、そういう問題もある。
だからなかなか若い子がね、「なんで免許取ってまでそんな大変な仕事やらなかんの」「4t乗っとってもそんな給料変わらんじゃん」みたいなね。
そういうのがかなりあって名古屋港は高齢化が進んでますね。
今は女性もちらほら見かけますけど、やっぱりその辺はその会社さんが努力して雇ってみえると思うんで。
ただ、僕はトラマネ入って、海コンなんてまだ生ぬるいんだと思って(笑)
例えば青果とかね、お魚運んでるところとか。
海コンなんて本当にまだまだ甘かった。もっと大変な会社いっぱいあるから。
「会社を変えていこう」きっかけは軽井沢のバスの事故
──そんな業界で、改善に取り組むきっかけは、なにかあったのでしょうか?
一番大きなきっかけっていうのは、軽井沢のバスの事故。
僕も結婚して、「自分の家族がもしあのバスに乗ってたら‥」とかね、逆に「自分がバスの運行会社の社長の立場だったら果たしてやっていけるのかな」って、すごく恐怖を覚えて。
それで次の日から「俺が点呼やる!」って言って、点呼係が見つかるまで、全部自分で寝ずに点呼やって。
めちゃめちゃ言われたんですドライバーに。
「社長もうやめときゃあ」「体壊しちゃうよ 」って。
「こんなんやっとるところないから」って。
それでもやらんといつか本当に営業停止になっちゃう。
点呼だけじゃなくて、乗務基準もしっかり守っていかなければならない。
ドライバーみんなが路頭に迷う。
だからこれは絶対やらなかんのだということで、僕がもうずっとやったですね。
会社に寝泊まりしながら意地でやってましたね。
変化を好まない先代やベテラン社員
──やはり決して順風満帆に改革を進められたわけではないのですね。
先代、僕の義父が昔ながらの人で。
相談してもね「いや昔からこうだから」ってなかなか変化ができなくて..っていう。
当時の番頭さんやベテラン社員とかもやっぱり昔ながらの感じ。
「点呼なんてどこの会社がやってるんだ」と。
「ドライバーだったら80時間100時間働いてあたりまえだろう」と。
全然味方がいなくて。
今はもう理解してくれてますよ。
けど当時はそんな状況だったので、社外へ助けを求めなくちゃいけないと思った。
それで、和田さんと知り合って。
コンサルティングをうけていくなかで、「トラマネ協会」があるっていうことに気づいた。しかも瀬尾さんっていう同世代の経営者が和田さんといっしょにやられてる。
ずっと声をかけられてはいたけど、あまりにも我が社が恥ずかしすぎて、入会すると決めるまでには時間がかかりました(笑)
対話を重ねてつかんだ三ツ星認証
──番頭さんやベテラン社員さんたちはどんなふうに変わっていったんですか?
まずはやっぱり点呼が大きかったかな。
昔は夜中の1時に出たり23時に出たりとかバラバラ。
ただでさえ配車マンって長時間労働なのに、そのうえで深夜も出発させてなんて到底無理だったんで、専門の人を雇おうってなって、そこら中に電話かけまくって。
最初はシルバー人材かな、点呼係が1人来てくれてね。
そこから点呼をちゃんとやれるようになって。
そうやって人を雇いながら僕も並行してやりながらね、「なんでこんなことやってんの?」とかドライバーに出発前に色々聞かれたりしたけど、それもやっぱり丁寧に説明していったってのがまずひとつで。
本当にコミュニケーションは大事にとっていって、コンプライアンスを守らなどうなっちゃうか、そういったところをしっかり説明しながら、徐々に徐々に。
あとはやっぱり時代が追いついてきたじゃないですか。
法定12項目とか。
「最近ニュースとか世間でこうやって騒いでるよな」
「やっといて良かったな」
「なんだかんだ社長の言うこと本当じゃん」
みたいな空気がすごく伝わってきた時があって。
そこから、労働時間を短くするにはどうしようとか、労働環境良くするためにはどうしようとか、ひとつずつわかってきてくれて。
「新和はマグロだ」って名古屋港でよく言われとったんですよ。
なんでかって言うと、名古屋港は12時になるとみんなピタッと止まるんですよ車が。
でも新和運輸の黄色いトラックってのは、もう常に動いとったのよ。
マグロって止まったら死ぬじゃないですか。
休憩時間も効率を求めるあまり、それぐらい走ってたんですよね。
だけどやっぱりその辺もドライバーとのコミュニケーション。
例えば12項目を教えるミーティングも僕全部自分でやってたんですよ。
それでドライバーと話す機会がだいぶ増えて。
小人数のミーティングも兼ねてやって、その中で会社をよくするための意見交換っていう時間を取ってて。
そこで「休憩が取れない」とか、「もうちょっと休む時間、飯食べる時間が欲しい」とか色々書いてあったんで、じゃあ12時から13時はしっかり止まろう、普通のことなんだけど。
点呼から始まって、乗務基準1個1個クリアしていって、最近とった「働きやすい職場認証制度の3つ星」に繋がったのかなっていうのがあるんで。